内容紹介
茶道辞典の決定版、ついに刊行!!
昭和50年の刊行以来、35年にわたり20刷・累計10万部を超えるロングセラーとなっている茶道界の基本書『原色茶道大辞典』が、大幅な見直しを行い、現在の要望に応える全く新しい辞典として生まれ変わりました!
茶道家はもちろんのこと、伝統芸能・和の文化・歴史に従事、または興味のある方は必携の辞典です。
《本書の特色》
1総項目数は同種の辞典最多の12500項目。
2重要項目には、多くの図版を使った特集ページを新設。
3近現代の茶人・禅僧・茶道研究者など人名項目を大増補。
4新発見の資料や茶道関連の出版物など最新情報を反映。
5近年注目される茶湯絵画資料も図版を掲げて多数項目化。
6有名な茶会や茶道具の多い美術館など案内型項目も充実。
7見つけやすい大きな見出しに、三段組の読みやすい構成。
81200点を超えるカラー図版で見ても楽しめる内容。
9本編と、それを補完する別巻(茶道備要と索引)との2冊セット。
【本編】
詳細な解説文章と1200点を超えるカラー図版で紹介します。
・項目は小項目・五十音順の表記。
・探しやすい大きな見出しを採用。
・右ページ端に50音のインデックス付き。
・カラー図版は解説のすぐ近くで紹介。
・解説・年号は和年号を用い、西暦年号を付記。
・人名・花名の重要項目には図版を駆使した特集を設ける。
【別巻(茶道備要・索引)の内容】
茶道備要は、700点のイラストで補足的な資料をわかりやすく解説します。
索引は、全項目索引に加えて、人名索引・茶道具別索引・茶花索引など多目的な検索に対応しています。
昭和50年の刊行以来、35年にわたり20刷・累計10万部を超えるロングセラーとなっている茶道界の基本書『原色茶道大辞典』が、大幅な見直しを行い、現在の要望に応える全く新しい辞典として生まれ変わりました!
茶道家はもちろんのこと、伝統芸能・和の文化・歴史に従事、または興味のある方は必携の辞典です。
《本書の特色》
1総項目数は同種の辞典最多の12500項目。
2重要項目には、多くの図版を使った特集ページを新設。
3近現代の茶人・禅僧・茶道研究者など人名項目を大増補。
4新発見の資料や茶道関連の出版物など最新情報を反映。
5近年注目される茶湯絵画資料も図版を掲げて多数項目化。
6有名な茶会や茶道具の多い美術館など案内型項目も充実。
7見つけやすい大きな見出しに、三段組の読みやすい構成。
81200点を超えるカラー図版で見ても楽しめる内容。
9本編と、それを補完する別巻(茶道備要と索引)との2冊セット。
【本編】
詳細な解説文章と1200点を超えるカラー図版で紹介します。
・項目は小項目・五十音順の表記。
・探しやすい大きな見出しを採用。
・右ページ端に50音のインデックス付き。
・カラー図版は解説のすぐ近くで紹介。
・解説・年号は和年号を用い、西暦年号を付記。
・人名・花名の重要項目には図版を駆使した特集を設ける。
【別巻(茶道備要・索引)の内容】
茶道備要は、700点のイラストで補足的な資料をわかりやすく解説します。
索引は、全項目索引に加えて、人名索引・茶道具別索引・茶花索引など多目的な検索に対応しています。
内容(「BOOK」データベースより)
『原色茶道大辞典』から3500項目を増補、カラー図版も改編、12500項目を収録した茶道辞典の決定版。本編と「茶道備要」と「索引」からなる別巻の二部構成。本編では重要項目に多数の図版を駆使した特集ページを新設、近現代の茶人、禅僧、茶道研究者など人名項目を大増補。別巻の「茶道備要」には茶道の歴史的な資料集をはじめ、茶道具や茶室などの部分名称をイラストなどでわかりやすく解説。「索引」は総索引、人名索引、茶道具別索引、花名索引、菓子名索引と多目的な検索に対応する。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
井口 海仙
明治33年‐昭和57年(1900‐82)裏千家十三代圓能斎の三男として京都に生まれる。本名は三郎。幽静庵と号した。同志社普通部を卒業後、大正11年「茶道月報」を主宰し、大正14年、兄の無限斎が裏千家十四代を継承すると、その補佐役として活躍。以後、今日庵理事、淡交会専務理事等をつとめ、大正・昭和の茶道界の発展に貢献した。また若年より文才に長じ、各誌に茶道研究・随筆を発表、『茶道全集』全十五巻には編集として、また『茶道古典全集』全十二巻には参与として、企画・編集の指導にあたった
末 宗廣
明治23年‐昭和52年(1890‐1977)大分県宇佐郡横山村(現・宇佐市)に生まれる。本名は広長。明治45年、東京美術学校図書師範科を卒業後、教職に就き、佐賀県師範学校に奉職中、蜂須賀宗純に裏千家の茶道を学んだ。その後、鹿児島県第一師範学校を経て、大正12年、奈良県師範学校に転任し、大阪堺に住した。戦後、八尾市に転居し、昭和47年、82歳で退職した。その間、茶道史研究を精力的に進め、とりわけ茶人・茶書の研究に意を注ぎ、昭和10年から刊行された『茶道全集』全十五巻でその研究成果の一端を示したが、この全集では他にも茶室・露地から懐石料理に至るまで、広くその知見を披瀝した
永島 福太郎
大正元年‐平成20年(1912‐2008)栃木県佐野市に生まれる。昭和9年、國學院大学国史科を卒業後、東京大学史料編纂所所員、奈良市立高等女学校教員を経て、関西学院大学に奉職、のち教授。文学博士。この間、立命館大学・関西大学等に出講した他、奈良県・和歌山県の文化財審議委員などをつとめた。著書に、奈良文化賞を受けた『奈良文化の伝流』などがある(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
明治33年‐昭和57年(1900‐82)裏千家十三代圓能斎の三男として京都に生まれる。本名は三郎。幽静庵と号した。同志社普通部を卒業後、大正11年「茶道月報」を主宰し、大正14年、兄の無限斎が裏千家十四代を継承すると、その補佐役として活躍。以後、今日庵理事、淡交会専務理事等をつとめ、大正・昭和の茶道界の発展に貢献した。また若年より文才に長じ、各誌に茶道研究・随筆を発表、『茶道全集』全十五巻には編集として、また『茶道古典全集』全十二巻には参与として、企画・編集の指導にあたった
末 宗廣
明治23年‐昭和52年(1890‐1977)大分県宇佐郡横山村(現・宇佐市)に生まれる。本名は広長。明治45年、東京美術学校図書師範科を卒業後、教職に就き、佐賀県師範学校に奉職中、蜂須賀宗純に裏千家の茶道を学んだ。その後、鹿児島県第一師範学校を経て、大正12年、奈良県師範学校に転任し、大阪堺に住した。戦後、八尾市に転居し、昭和47年、82歳で退職した。その間、茶道史研究を精力的に進め、とりわけ茶人・茶書の研究に意を注ぎ、昭和10年から刊行された『茶道全集』全十五巻でその研究成果の一端を示したが、この全集では他にも茶室・露地から懐石料理に至るまで、広くその知見を披瀝した
永島 福太郎
大正元年‐平成20年(1912‐2008)栃木県佐野市に生まれる。昭和9年、國學院大学国史科を卒業後、東京大学史料編纂所所員、奈良市立高等女学校教員を経て、関西学院大学に奉職、のち教授。文学博士。この間、立命館大学・関西大学等に出講した他、奈良県・和歌山県の文化財審議委員などをつとめた。著書に、奈良文化賞を受けた『奈良文化の伝流』などがある(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)