伝統芸能・日本文化―茶道

心の内よりきれい数寄: 山田 宗里: 本

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心の内よりきれい数寄

心の内よりきれい数寄

出版社/著者からの内容紹介

あの山口智子さんも絶賛! フジテレビ会長も激白!
美人秘書が家元夫人に! その日々を語る

著者は、大学卒業後、テレビ局で報道記者をするキャリアへの道を進んでいた女性でしたが、一転運命の出会いをし、まったく違う世界に身を置くことになり、さまざまな経験をします。その数々の経験は、著者の心を震わるものでした。結婚して10年。太くまっすぐ伸びる大木に、豊かに枝が伸び、瑞々しい葉と大輪の花を咲かせたたようなお茶の家元夫人のライフストーリーは、読み始めたら、時間を忘れてしまうほど興味深いものです。読後感は、清々しさが残ると好評です。家族、結婚、家、人生……いろいろなことを考えさせられる一冊です。男性にもぜひ読んでいただきたいですし、大切な人やご友人へ贈られるのもお薦めします。

内容(「BOOK」データベースより)

ミニスカートで闊歩していた報道記者から着物を纏ったお茶の家元夫人に大転身。「本書は、勇気と度胸と素直な視点で、お茶のこころと私たちの日常を愉快に結んでくれる」(山口智子)

内容(「MARC」データベースより)

ミニスカートで闊歩していた報道記者から、茶道家との結婚を機に、着物を纏ったお茶の家元夫人に大転身! そんな著者の目に映った素敵な人、豊かな生活、魅力的な生き方などをあれこれ集めてつづる。

出版社からのコメント

ミニスカートで闊歩していた報道記者から
着物を纏ったお茶の家元夫人に大転身!

結婚前、報道記者をしていた著者は、家元と知り合い、お茶の世界に。報道記者から家元夫人への大転身。「若い頃の私は今よりもっと斜に構えた人間でした。最新のモードをさりげなくファッションに取り込み、世の中をシニカルに見つめて、そんな自分が特別との幻想を抱いていました。それをお茶が、結婚生活が、そして子どもたちが素の私を引き出してくれたのだと思います。茶の湯の思想には人として生きる道、在るべき姿がシンプルな形で凝縮されています。他人への礼の尽くし方、物を大切にする心、邪念を律する禅的思想、茶室に結集した美」と記しているように、古いと思っていた世界は、新しい発見の連続だった。茶の湯の世界に入って知った人間らしい日々の暮らし、、母として生きることの魅力が詰まった珠玉のエッセイ集。

女優の山口智子さんも本書『心の内より きれい数寄』を絶賛して下さり、原稿も寄せて下さいました(巻末に収録しています)。

著者について

山田宗里(やまだ そうり)

一九六七年東京生まれ。本名、理絵(りえ)。
小学生の一時をベイルートで過ごし、
ウィーンのアメリカン・インターナショナル・ハイスクールを卒業後、早稲田大学第一文学部に入学。
卒業後、株式会社フジテレビジョンに入社、報道局に配属される。
九六年、茶道宗偏流十一世家元 山田宗偏氏と結婚。
家元夫人として家元を支え、流儀の発展に尽力している。
三児の母。
エグゼリーナ向け茶の湯サロン「MISS WABISUKI講座」を開催。
主宰する幼児向け茶の湯教室「名月会」は文化庁の
伝統文化こども教室事業の認可を受け、広がりを見せている。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

山田 宗里
1967年東京生まれ。本名、理絵。小学生の一時をベイルートで過ごし、ウィーンのアメリカン・インターナショナル・ハイスクールを卒業後、早稲田大学第一文学部に入学。卒業後、株式会社フジテレビジョンに入社、報道局に配属される。96年、茶道宗〓(へん)流十一世家元山田宗〓(へん)氏と結婚。家元夫人として家元を支え、流儀の発展に尽力している。三児の母。エグゼリーナ向け茶の湯サロン「MISS WABISUKI講座」を開催。主宰する幼児向け茶の湯教室「名月会」は文化庁の伝統文化こども教室事業の認可を受け、広がりを見せている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

抜粋

転身

ジャーナリストを志してテレビ局に入社した私は、ミニスカートにヒールの靴をはいてモニターに囲まれたビルの中を颯爽と駆け回っていた。日々刻々と変化する情報に囲まれた仕事が楽しく、将来は海外特派員を目指していた。結婚しても夫婦別姓、仕事を続け、子どもは作らない、DINKSの象徴のような生活を思い描いていた。あくまでも自己実現のための人生、それには子育てなど苦労ばかりでエネルギーと時間のムダなどと、思えば浅はかなことを考えていた。
 入社試験の最終面接で、「結婚して海外特派員に選ばれた暁には、どうするつもりだ」との社長の質問に、「はい、その場合は主人を連れて行きます」と答え、「それでは男も情けないなあ」と一座の笑いをさらったものだ。
 男女雇用機会均等法がすっかり定着した恵まれた時代に社会進出した我々の世代は、女性として男性にひけをとらず、実力さえあればどんどんキャリアを積んでいった。私が配属された報道局でも数人の女性先輩方が男性勝りの活躍をしていた。湾岸戦争やモザンビークなどの危険地帯からリポートした安藤優子キャスターをはじめ、暴力団一斉検挙で組員への突撃インタビューをスクープした先輩、東証からバブルの崩壊劇を刻々とリポートした先輩、噴火の続く雲仙普賢岳の上空をいち早くヘリで飛んだ方などなど。勇敢な女性先輩方に触発されて、いつか私も世界の何処かから前代未聞の特ダネをリポートしたい、と夢を抱いていた。
 そんな働く女性の典型のような人生を続けて五年、転機が訪れた。茶道の家元からプロポーズされたのだ。家元夫人とはどんな存在なのかまったく想像もつかず、不安で一杯だった私の唯一の心の支えは、「必ず幸せにするから」という主人の真剣なまなざしだった。そして次の瞬間、「返事は?」と尋ねる主人に私は答えていた。「そうなったら素敵だと思うわ」。
 それから三カ月後の七夕、私たちは京都の鹿苑寺金閣で結婚式を挙げた。かくしてミニスカートをはいて自分のために生きてきた私の人生は、着物を纏った内助の生活へと一変した。しかしそのふんぎりは一夜にしてついた訳ではない。自分の意思で進んだ世界を捨て、未知の、これまでと正反対の世界に身を投じることは、自殺行為に近かった。決心がつかないまま結婚後も仕事を続けていた私に、もう一つの決断の時がやってきた。ママになったのである。
 これにはさすがにまいってしまった。しばらくは自分の世界を保ちながら、未知の世界とのギャップを少しずつ埋め、不足しているスキルを身に付けて行こうと構えていた計画がもろくも崩れてしまった。それでも妊娠休暇制度もある、とまだ未練がましい私に、お腹の中の子どもが悪阻という手段で教えてくれた。「そろそろ生き方変えようよ」と。

目次

第1章 「変」―ついに決心
第2章 「応」―結婚が素晴らしいのは
第3章 「想」―奇麗数寄
第4章 「鍛」―足りるを知る
第5章 「友」―甘い生活
第6章 「生」―みんな愛されたい
第7章 「季」―花は語る
第8章 「時」―魂の宿るもの

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